アティテューディナル・ヒーリング(AH)の原則の「一つの」定義
(パッツィ・ロビンソン著)
日本語訳

この内容は、若干の修正をした上で、「怖れを手放す アティテューディナル・ヒーリング入門ワークショップ」(星和書店)に収載してあります。

訳者前書き
はじめに
序文
アティテューディナル・ヒーリングの「一つの」定義
アティテューディナル・ヒーリングの12の原則
1 私たちの本質は愛であり、愛は永遠である。
2 健康とは心の平和であり、癒しとは怖れを手放すこと。
3 与えることは受け取ること。
4 私たちは過去も未来も手放すことができる。
5 あるのは今このときだけ。すべての瞬間は与えるためにある。
6 私たちは裁くのではなく許すことによって、自分や他人を愛することができるようになる。
7 私たちはあら捜しをするのではなく愛を見つける人になることができる。
8 外で何が起こっていようと心の平和を選ぶことができる。
9 私たちはお互いに生徒であり教師である。
10 私たちは自分たちを分断された存在ではなく一つのいのちとしてとらえることができる。
11 愛は永遠のものなので、死を怖れる必要はない。
12 どんな人も、愛を差し伸べているか助けを求めているかのどちらかととらえることができる。
アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生 カリフォルニア州、ティブロン

訳者前書き ―――――――――  水島広子

パッツィと  アティテューディナル・ヒーリングの原則について、、パッツィ(パトリシア)・ロビンソンという女性が書いた「アティテューディナル・ヒーリングの原則の一つの定義」という小冊子をご紹介したいと思います。アティテューディナル・ヒーリング・センターがジェリー(ジェラルド・ジャンポルスキー博士)と4名の女性によって創設されたのは1975年ですが、その4名の女性の一人がパッツィです。

 ちょうど皆さまにアティテューディナル・ヒーリングの原則をご紹介しようと思っていたところに、ジェリーから電話がかかってきて、「パッツィが病気で末期の状態なので、私は小冊子が彼女の遺言だと思っている。いろいろな国の言葉に翻訳してもらっているところだが、日本語に訳してもらえないか」という依頼がありました。もちろん快諾すると共に、インターネットでも紹介することを許可していただきました。

パッツィはすばらしい女性です。この翻訳によって、皆さまがアティテューディナル・ヒーリング(AH)の原則により親しまれるとともに、パッツィのすばらしさにも触れていただければ幸いです。

パッツィ・ロビンソンは、2006年12月31日に亡くなりました。ジェリーを初めとする4名の親しい人たちが、それぞれ4本の手足を握りながら、パッツィへの感謝の言葉を述べる中で安らかに眠るように亡くなったそうです。

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はじめに  ―――――――――  パッツィ・ロビンソン

 一九八七年に自分が書いたものを見つけて読み始めたとき、私はそこに書かれていることが十八年後になっても自分に大きな衝撃を与えることに気づいて驚かされました。

 本当に、今に一番あてはまるのです。

  私たちは今日、非常に大きな問題に直面しています。私たちは常に外部の刺激を浴びせられています。心の平和を見つけるのは、私たちの健康のために欠かせません。

 アティテューディナル・ヒーリングの原則についての私の定義は、あなたのものとは違うかもしれません。どのように解釈しようとも、「アティテューディナル・ヒーリングの十二の原則」は、毎日を優雅に過ごすための強力なツールなのです。

私の全ての子どもたち スザンヌ、マイケル、バージニア、マーク、エイドリアナ、ティナへ

そして
私の全ての孫たち アレクサンドラ、カーソン、デレック、イグナシオ、ニコル、テイラーへ

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序文   ―――――――――   ジェリー・ジャンポルスキー

  パッツィ・ロビンソンは、私にとって最も親愛なる近しい友人ですが、アティテューディナル・ヒーリング・センターが一九七五年に初めてスタートしたときからそこにいました。私たちがティブロンでの活動を始めたときの共同創始者の一人なのです。センターがサンフランシスコ・ベイエリアに大きく成長し、現在の所在地であるサウサリートに移るまで、センターは何年もティブロンにありました。パッツィは、ファシリテーターおよびボランティアとして、センターに心と魂を注ぎ込みました。彼女は、センターを訪れた無数の人たちを助けてきました。他人を助けようとする彼女の献身は今日まで続き、他の多くの人たちの指針となってきました。

 パッツィと、最近亡くなった夫のジョンは、最初からセンターを経済的に支える中心的存在でした。初期のセンターが存続できるよう、熱心に責任を果たしてくれました。ジョンはアティテューディナル・ヒーリングの原則を彼のビジネスに取り入れ、彼もパッツィも、自分自身の人生にアティテューディナル・ヒーリングの原則を生かすために最善を尽くしました。

 パッツィと私がイギリスにいたとき、友人がエナ・トゥウィグという有名な超能力者とのアポイントメントをとってくれたことがありました。センターは始まったばかりでしたが、エナは、世界中にアティテューディナル・ヒーリング・センターができて世界中の人を助けるのが見えると言いました。彼女が言ったことを全く信じなかったことを私は覚えています。でも、幸いなことに、彼女の予言が正しく私が間違っていたということがわかりました。

 パッツィは、進路のわからないセンターの活動に献身するということを身をもって示してくれました。彼女は、大変厳しい事態の中にあってさえも、私と妻のダイアン・シリンシオーネにとって、また、センターにとって、すばらしい忠実な友人であり続けてくれました。パッツィに対して抱いている私たちの個人的な友情は表現を超えており、何にも例えられません。彼女が昔に書いたこの文章を見つけて読める形にしてくれたことを、私たちは大変幸せに思っています。

 センターの歴史とアティテューディナル・ヒーリングの原則の応用の仕方についてもっと知りたいと思っている人にとっては、センターの歴史についてのパッツィの識見と原則についての彼女の認識はとても価値のあるものとなるでしょう。パッツィ、ありがとう。 

   
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アティテューディナル・ヒーリングの一つの定義

 アティテューディナル・ヒーリングというのは、単に、私たちの態度を変えるというものではありません。むしろ、物事を怖れる気持ちを手放すことを意識的に選択していくということなのです。アティテューディナル・ヒーリングは、自分、他人、世界を、裁くことなく見られるようになるためのスピリチュアルな道です。目標は行動を変えることではなく、変化のための最も強力な手段、つまり、「心」のあり方を変えることなのです。

 心の平和というただ一つの目標を持ち、「許し」の実行というただ一つの機能を果たしていくことは可能です。その中で、私たちは人間関係を癒し、心の平和を感じ、怖れを手放すことができます。自分の中にあるエネルギーとつながるときに、アティテューディナル・ヒーリングは私たちの人生における創造的な力になるのです。

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アティテューディナル・ヒーリングの12の原則

1 私たちの本質は愛であり、愛は永遠である。

 愛というものは、うまく説明できるものではありません。経験することだけができるものです。アティテューディナル・ヒーリングにおいても、愛は定義づけるよりも経験するものです。

 愛はエネルギーです。不変で永遠のものです。科学者たちが「生命力」と呼ぶもので、未だに測定はできないけれども、存在は誰もが知っているものです。私たちの中を流れる純粋なエネルギーです。痛みや、不安、怒り、さまざまな形で現れる怖れによって妨げられることがなければ、私たちは愛の本質を認識することができますし、心の平和を感じられるようになります。

 大切なことは、私たちの心の曇りをとるように常に努め、そこには愛のエネルギーしかないのだということ、そして、「負の感情」と呼んでいるもののために愛を感じることができないのだということを認識することです。私たちの人生が、自らを愛し、他人にもその愛を与えるためのものなのだということを体験できるようになります。

 これは、世間の大部分の人が考えている愛とは違います。一般に、愛というのは、誰か他の人から「得る」ものです。愛が「足りなくなるかもしれない」という怖れとセットになっています。この怖れの中で生きてしまうと、愛を惜しげなく与えることができなくなってしまいます。それはエゴの仕業です。愛は、測定できるようなものではなく、分かち合うためにあるのです。

 愛の本質は、身体の癒しにも重要な役割を果たします。私たちのセンターのグループの一つで、50代半ばの女性が、もう9年も慢性的な背中の痛みに悩まされてきたと不満を述べていました。この痛みから解放されたことは一瞬たりともなかったと言いました。私たちは、一つの実験に参加していただけないかと彼女に頼みました。彼女は了解しました。私たちは約15名のグループの参加者たちに、30秒ほどこの女性に愛を送ってもらえないかと頼みました。すべての参加者が了解しました。それから、今度はその女性に、グループの参加者たちに向けて同じことをしてくれないかと頼みました。つまり、グループが彼女に愛を送るのと同時に彼女がグループに愛を送るのです。彼女は了解し、私たちは始めました。

 それは、私たちが一つだけの目標――他の人に愛を送るという――に集中したすばらしい30秒間でした。30秒が終わったとき、参加者たちはその結果を話し合おうとしました。私たちファシリテーターはそれをしないように注意し、グループミーティングでの話し合いはそれ以前よりも深いレベルで続けられました。ミーティングの終わりに、背中の痛みの女性が興奮した様子で言いました。「どうしても我慢できません。この1時間、背中の痛みがすっかり消えていたということを皆さんにどうしてもお伝えしたいんです」

 これは、ずっと以前に起こったことですが、信頼することについてのレッスンとして私の中に永遠に植えつけられています。このミーティングで起こったことは、見たり測定したりできるようなものではありません。そのとき私に起こっていた唯一のことは、この女性に対して愛を感じようとする意思だけでした。私の目標は彼女の痛みをとることでも、自分の気持ちを良くしようということでも、何でもありませんでした。それは、ただそのときに集中し、愛を送り、結果については心配しない、ということでした。人の気持ちははっきりと送ることができるもので、別の人がそれを深いレベルで感じることができるのだということを私に認識させてくれた強力なレッスンでした。

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2 健康とは心の平和であり、癒しとは怖れを手放すこと。

心の平和を感じるためには、まずそれをただ一つの目標にすることが必要です。そうして初めて、障害物を取り除いていくことができるのです。

 私たちにはいろいろな感情があります。それらはすべて怖れに関連したものですが、私たちから見るといろいろな形をとっています。怒り、嫉妬、罪悪感、落ち込みなどは、常に私たちの中で起こっています。これらの感情とどのようにつき合っていくかを決めるのは自分自身なのだということを知っておくのは大切なことです。無力な被害者になることもできますし、このような気持ちを変えることもできるのです。心は私たちが持っている最も強力な手段であって、自分を傷つける気持ちを変えるために使うことができるのです。

 そのためには、変化に向けての意識と意欲を持つことが必要です。自分たちの心の声に耳を傾けるのです。心の声というのは、エゴが支配している自分ではなく、もっと高次の自分とつながっているものを意味します。真実を、裁くことなく教えてくれる声です。次のステップは、感情を体験することです。

 たとえば、怒りが起こるのを感じたとき、それと「接触してみる」ことが大切です。「接触してみる」というのは、それを感じ、認め、優しくすることを意味します。怒りは当たり前の気持ちで、「悪い」というレッテルを貼る必要もないのですから、怒りを否定することはありません。怒りを否定してしまうと、それに対処するために別の気持ち、つまり罪悪感が生まれてきます。本当に自分の怒りを知ることができて初めて、変えることができるようになるのです。これは実は一瞬でできることです。長い時間をかける必要はありません。「なぜ」「どのように」を知る必要がないときもあるくらいです。これらの言葉は、私たちの人生をますますグチャグチャにすることが多いものです。心の平和がただ一つの目標になれば、怒りにしがみついていると心の平和は得られないのだということを認識できるようになります。

 驚くべき女性が約10年前にセンターにやってきました。彼女は、9歳の娘が重症の白血病と診断され、打ちのめされていました。ジェリー・ジャンポルスキー博士と会った彼女は、「実は、この瞬間にも、あなたが感じているような痛みではなく心の平和を選ぶことができる」と言われたのです。彼女は、何とか、彼が何を言おうとしているのかを理解し、即座にものの受け止め方を変化させることができたのです。

 この女性はやがてセンターの熱心なボランティアとして何年も活躍し、彼女と同じ体験をした大勢の親たちを助けることができました。これは何も、親たちが完全に打ちのめされているときに「あなたは心の平和を選ぶことができるのよ」と言ったという意味ではありません。そうではなく、どういう状況のときにも、親たちのために彼女がいた、ということなのです。そして自分自身の経験があったために、彼女は、どんな形であっても親たちの助けとなれるように、自分の内なる力を頼ることができたのです。このようにこの女性が即座に変化することができたのは、私にとって本当に目をひきつけられる経験でした。「なにごとも、不可能なことはない」ということを私に教えてくれたレッスンでした。

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3 与えることは受け取ること。

 世の中には、「与える人」と分類できる人がたくさんいます。与える人は、ふつう、受け取り方を学ぶのに苦労するものです。「受け取る人」もいて、受け取るのはうまくても、与え方をよく知りません。与える人は、ふつう、相手を操作しながら助けています。相手が期待にこたえないと、失望するのです。受け取る人は、反対に、次から次へと新たな要求を出して、決して満足することがないようです。どちらも、自分の要求を満たすものを外側の世界に探しており、自分の内側には空虚感を抱えていることが多いものです。

 アティテューディナル・ヒーリングにおける与えることと受け取ることの定義は、別のところから来ます。エゴがありません。条件もつけず、期待もしませんし、どの人と愛を分かち合うかという境界線も引きません。他人を変えようという目標や意欲を持たず、他人から何かを得る必要がなければ、別のことが起こるのです。エゴも手放し、ただその人のためにあろうとすると、心の平和を感じられるようになるのです。

 他人と一体化していく感覚を持ち始めると、自分のことは忘れるようです。相手に心を向けていくと、自分の気持ちはあまり気にしなくなります。与えることと受け取ることが同じだという幸せを感じられるようになるのは、まさにこのときです。与えるものは尽きることがなく、どんどん満たされてくるのです。

 このような種類のやりとりは、センターのグループでは毎週起こっています。センターは、自分の心を他人に向けていくための安全な環境を作っています。グループでは自意識を忘れることができます。そして、そのプロセスを通して、愛によるエンパワーメントを受け、お返しを期待せずに相手に手を差し伸べることができるようになるのです。この時点で、助けられているほうの人はほとんど自動的に怖れや不安を手放すことができ、グループのほかの人たちと一体化することができます。人々が本当にこのモードに入ると、怖れが手放され、癒しが起こり始めるのです。

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4 私たちは過去も未来も手放すことができる。

 過去は学習のためにあります。すべての経験には価値があり、

私たちの成長の糧になります。私たちがそのような見方を選択しさえすれば、ですが。私たちが「過ち」とラベルを貼ったことも、そこから学び、新たな一歩を踏み出すための経験に過ぎません。でも、過去に浸ることは私たちのためにはなりません。「過去にこれをやっておいたなら」とか「こうでなければよかったのに」というのは、私たちの邪魔になるだけです。

  事実は、私たちが現在に生きていて、「今」起こっていることに対処しなければならないということです。これは、つまり、私たちの心がしっかりと目覚めて生き生きしているように訓練しなければならないということです。過去や未来にタイムスリップしてしまうのはとても簡単なことですが、今この瞬間に生きていなければ本当の意味で生きているとはいえないのです。

 今の状況によって、未来は楽しみなものにも怖いものにもなります。いくらでも未来の不安に浸ることはできますが、心の平和がもたらされることはまずないでしょう。

 ここで重要な区別をしておかなければなりません。これは決して、未来に向けての計画を立ててはいけないという意味ではないのです。もちろん計画を立てるのは大切なことです。どのように区別するのかというと、未来に向けての計画を立てている間も、私たちの意識は現在にとどまっているということなのです。私たちは未来を予見することはできませんから、何が起こるか、何が起こらないか、ということに浸るのは生産的ではありません。私たちにできることは、予約をとるというように、未来に向けての自分の意思を決めておくことと、それが実際に現実のものになってきたときに、実現に向けてさらなるステップを踏むことだけなのです。

 この原則について重要なことは、過去の考えで役に立たないものや苦痛をもたらすものは、自分で選んで変えられるということです。そのためには、それに気づき、手放すための意識的な選択をすることが重要です。その考えがまた戻ってくるようだったら、また同じプロセスを繰り返すだけです。しがみついていたくないものが出てくる度に、テープを消すという新鮮な決意をすることができるのです。アティテューディナル・ヒーリングで特に価値のある考えの一つが、「私の心は苦痛をもたらす考え全てを変えることができる」というものです。自分のものの受け止め方を変えて新しい現実を作り出したいのであれば、これは強力な手段になります。

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5 あるのは今このときだけ。すべての瞬間は与えるためにある。

 この原則は、私たちが今のこの瞬間にとどまれるようにと作られたものです。私たちはすぐに、過去のことを考えたり将来への不安を膨らませたりしてしまうものです。こうなってしまうと、私たちの心は往々にして平和でなくなります。これが認識できれば、自分の気持ちの焦点を、平和を経験できる現在へと戻すことができます。私たちが現在にとどまっていれば、全ての出来事に一番良い形で対応することができます。現在でないところにいると、ものごとを決めることができません。本質的には、あるのは今このときだけなのです。愛のエネルギーが私たちからあふれ出すのも「今」です。私たちが決めつけることなく何が起こっているかをはっきりと見ることができるのも「今」です。

 私たちは外で起こっていることをコントロールすることができません。それをやろうとすると決して平和な気持ちにはなれません。でも、私たちは自分の考えをコントロールすることならできます。受け取ろうとする気持ちから与えようとする気持ちへと変えていくと、外で起こることについても明らかな変化が起こることに気づくようになります。

 私の今までの経験の中で、起こり得ることの例として最も深いものは、「平和の教師としての子どもたち」というグループ、そしてその創設者であるジャンポルスキー博士と共にモスクワに行ったときのことです。私たちはソ連の青年組織の代表とともに、記者会見をしていました。その青年代表は、45分間にわたって、米ソの関係が良くならないのはどれほどアメリカの責任であるかということなどを演説しました。私たちは皆彼の話を聞きました。そして、彼が子どもたちに質問はないかと尋ねたところ、子どもたちはその青年が考えもしなかったやり方で応えたのです。子どもたちは一人ずつ、ロシア人がいかに私たちに対して親切だったかを青年に伝えました。今回の旅でロシア人から受けた親切なもてなしの話をアメリカ人が聞いたら、戦争はなくなるだろうと言ったのです。さらに、子どもたちそれぞれがチェルノブイリ災害への寄付を申し出ました。

 それぞれの子どもが心から話をすると、その青年は美しい変化をとげました。彼の顔は柔らかくなり、色鮮やかになりました。目はうるみました。とても警戒した状態から、とても共感しやすい状態になりました。私はミーティングが終わった後で彼のところに行って話しました。彼は、来てくれて本当にありがとうと言い、部屋に入ってきたときとは違う人間であることが私の目には明らかでした。私も、また、違う人間になっていました。私はとても感動していました。どれほどの障害があるように見えても、平和な関係を持つことは実際にできるのだということを心の底から感じたからです。

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6 私たちは裁くのではなく許すことによって、自分や他人を愛することができるようになる。

 私たちは他人を裁くときにはいつも、自分自身のことも裁いているものです。アティテューディナル・ヒーリングでいう意味での許しは、他人の行動を大目に見たり賛成したりすることを意味するのではありませんし、その人が悪いことをしたと感じる自分自身をとりあえず脇において相手を許すことを選ぶという意味でもありません。単に、許しというのは私たちの誤ったものの受け止め方を明らかにするための手段だという意味なのです。

 単純に言うと、「許しとは手放すこと」、つまり、心を乱す原因となる信念へのしがみつきをやめるという選択です。自分について言えば、苦しむのをやめて自分を充実させるために、まずは責任をもって自分自身を十分に愛する必要があります。

 「攻撃」を例に挙げてみましょう。A Course In Miracles(奇跡についてのコース)には、他人を見る際に役立つ考えが記されています。それは、その人は私たちを攻撃しているのではなくて、助けを求めているか愛を必要としているのだという見方をするというものです。人間関係においては、これは最も難しい原則であることが多いものです。なぜかというと、私たちのエゴは、「攻撃されている」と言うからです。でも、本当のところは、それは真実ではなく、私たちがそう受け止めているだけなのです。

 受け止め方というのは、意欲を持って集中すれば、自分で変え

ることができるものです。自分は愛でできているとみなすことができるようになれば、自分を防衛する必要もなくなり、他人を違う形で見ることができるようになります。このことに気づき始めれば、何かしら自信がなかったり足りないと思ったりするところにおいてだけ、私たちは「ボタンを押す」ことができるのです。

 自分はこれで良いのだと思えるときは、他人のふるまいについてもあまり問題にならなくなるものです。もう一度言いますが、自分は攻撃されていると感じるのは、自分自身の受け止め方に過ぎないのです。自分自身を防衛する必要すらなくなるように、強力な愛のエネルギーで満たされることを選ぶことができます。

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7 私たちはあら捜しをするのではなく愛を見つける人になることができる。

 他人の欠点を見つけるのはとても簡単です。他人が変わってくれさえすれば自分はもっと幸せになるのにと思うことがあります。これもまた一つの幻想です。私たちが幸せになるためには、誰も変わる必要がありません。自分自身の幸せを作り出すのは、自分の仕事なのです。

 私たちが他人の欠点を探すのは、自分自身の中に、同じ欠点や、欠点になる怖れのあるものを必ずしも見たくないからです。他人を批判することは、単に自分自身の内側で起こっている問題の現われだということも多いものです。

 アティテューディナル・ヒーリングを練習するための課題は、「許す」ことを始めること、「裁く」のをやめること、自分と他人を愛することです。これら3つのことを意識的なレベルでやり始めると、私たちは自動的に人々や物事に対して別の見方をするようになります。曇った日は必ずしも「悪い」日ではなくなり、晴れた日とは反対の単なる曇った日になるでしょう。

 私たちは、それぞれの人の中に光を見るようになるでしょう。私たち全ての中に光があるからです。中にはそれを必死で隠そうとしている人もいますが、それが私たちの本質である以上、何らかの形で輝きだしてくるものです。自分の光を輝き出させるほど、他人の中に光を見ることができるようになります。

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8 外で何が起こっていようと心の平和を選ぶことができる。

 心の平和をただ一つの目標として選びたいのであれば、「世間」の言うとおりに行動をとる必要がないということがわかるようになります。私たちは皆、「世間」がどれほど「正当な怒り」を守り、「正当な怒り」へのしがみつきをサポートしているかを知っています。私たちは、「世間」がサポートしてくれることをすることもできるし、自分の気持ちに責任を持ち、心の内面を見つめ、怒り・罪悪感・決めつけを捨てることを選ぶこともできます。

 私たちはロボットではありません。ロボットは外側の世界によって動かされます。ボタンが押されれば、誰かがやらせたいと思ったとおりのことをするようにプログラムされています。私たちはロボットのように行動する必要はありません。自分に最も平和をもたらすことをし、感じ、ふるまう自由があります。本質的に、誰も私たちのことを幸せに「したり」、悲しく「させたり」、寂しく「させたり」、怒ら「せたり」することはできないのです。「私の配偶者がこんな(あんな)ふうに振舞ってくれれば、私はもっと幸せになれるのに」というとき、私たちはそれが事実だというふうに感じることが多いものです。

 実は、このような状況を使って、自分の心のトレーニングをすることができます。今このときに、自分の心をもっと平和にするために、起こっていることの受け止め方をどのように変えられるのか、考えてみることができます。他人のふるまいを変えようとすることは操作でありコントロールであり、長い目で見ると決してうまくいかないのです。他人を変えることは決してできず、自分自身を変えることしかできないのです。自分の気持ちに気づき、認め、それを変えることを積極的に選べるように、自分の気持ちを見つめ続ける意識とやる気が必要です。私たちが変わり始めることができるように、今この瞬間に集中して、しっかりと考え続ける勇気が必要なのです。

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9 私たちはお互いに生徒であり教師である。

 関わりを持つ全ての人が自分にとって教師であると考えるようになると、人生に対して別の見方をすることができるようになります。いろいろなことにすぐに気づくようになり、人の話をよく聞くようになります。学びには序列はなく、おそらく子どもたちが一番の教師だということがわかってきます。

 子どもたちは率直で正直です。私たち大人が持っているような障壁をまだ築いていません。私たちの障壁は、自分を保護する覆いのようなものですが、子どもたちと一緒にいることではずすことができます。この原則は、私たちは必ずしも他人にとって最善のことを知っているわけではないということを意味します。そして、知っている必要もないのです。私たちのそれぞれが、自分にとって何が最善かを知っているだけです。自分を知ろうとするプロセスを分かち合うことによって学ぶことができます。そして、そこから、学び成長するための人間関係を築くことができるのです。

 階層のある、垂直構造の学びではなく、水平なのです。そこでは、生徒と教師の役割を入れ替えることが、全体にとって最終的によい結果をもたらすことにつながります。この種の人間関係では、自分自身をより深く知ることの自由を感じやすくなります。もっと深く進むことが許されており、「間違い」「愚か」などと判断されないことが保障されています。こうして私たちがお互いに与えたり受け取ったりする努力を絶え間なく続けることによって、愛の経験の仕方をお互いから学べるようになるのです。

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10 私たちは自分たちを分断された存在ではなく一つのいのちとしてとらえることができる。

 心の平和を感じるためには、自分自身と周りの人たちが一体のものであるということに焦点を当ててみる必要があります。これは、私たちにいつも痛みをもたらしている「分断」の感覚を追い払うという意味です。「分断」の感覚は、自分自身が傷つかないように守るために築いた障壁の一つです。私たちが、正誤、善悪という罠に捕らわれているときには、全体の中の一部分だけを見ているに過ぎません。このゲームを始めると、心の平和を保つことはできなくなります。たまたま今どういう結果が出ていようと、常に「勝ちのない」状況になるからです。

私たちは、自分に対して、周りの人たちに対して、そして私たちが見ている世界に対して、新しい態度を持てるようになります。トンネルのような視野の他に、もっと大きな全体があるのだということを認識することができます。自分の中にある活発な力を通して、より大きなイメージを感じることができるのです。この力によって、私たちは広がっていき、この大きな全体に気づくようになりますので、他の人たちが苦しんでいる葛藤に巻き込まれる必要はないのです。他の人たちが苦しんでいる葛藤は、その人たちの道であって、私たちの道ではないのです。私たちがやるべきことは、それぞれの状況に対して今までとは違う見方をすることができるように、そして、意味のないパターンにはまりこまないように、集中し続けることなのです。それぞれの状況が起こるたびに私たちの心を再訓練することによって、私たちの意識をより高度の気づきに持っていきます。

私たちは自分自身に「たった今起こっていることに巻き込まれることは選びません。その代わり、人生の全体を見ることを選びます」と言うことができます。こうすることによって、私たちの焦点は広がり、変化し、物事を違う形で見られるようになるのです。

思考パターンを変えるときに自分の内面で起こる変化を経験すると、信じられないほどワクワクします。

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11 愛は永遠のものなので、死を怖れる必要はない。

 この原則をうまくとらえるために、原則の1に戻りましょう。「私たちの本質は愛であり、愛は永遠である。」命が永遠であると信じれば、死への怖れはなくなります。私たちの本質である愛は続き、新たな形に入るだけなのだという考え方を強めれば、死への怖れを消すことができます。死への怖れを消すことができた分だけ、私たちは今このときに完全に生きることができるようになります。

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12 どんな人も、愛を差し伸べているか助けを求めているかのどちらかととらえることができる。

 この原則は、人間関係の中で利用できる並外れたツールです。人とやりとりするときにこの原則を頭に入れておくことができれば、人間関係をより望ましい形にすることができるでしょう。人間関係の中で、相手が私たちに愛を差し伸べているのだということが明らかである場合、ふつう、何の問題も起こらないものです。愛とサポートの気持ちを受け取り、愛とサポートで応えることができます。何の葛藤も感じませんし、問題は難なく解決するように見えます。

反対に、何らかの理由で自分が攻撃されていると感じる場合には、防衛の姿勢をとり、逃げるか攻撃し返すかをしがちです。逃げる姿勢で反応しても、戦う姿勢で反応しても、行動につながります。これは、自分を傷つけずに守るように学んできた、条件反射なのです。私たちを攻撃しているように見える人を、怖れから行動している人だと見ることができるようになると、その状況の力動について全く新しい次元で見ることができるようになります。

この原則を、他の原則と共に、さらに発展的に利用できるようになるために、まず自分の心の焦点を変えるところから始めましょう。どういうことかと言うと、ここでもまた、自分の気持ちについて責任をとり、ストレスが起こる瞬間に私たちに起こる反応について他人のせいにしない、ということです。

私たちが責任を持っているのは自分自身の心の平和であって、他の人のことではありません。人の話を聞くときにこの原則に焦点を当てていれば、攻撃に見えるものが、実は、怖れの表現であり助けを求める声だということがわかるでしょう。そうなると、他の力動が起こり始めます。その瞬間に私たちが自己防衛をしなくなると、エネルギーに変化が起こり、「攻撃者」はそれを感じます。私たちの受け止め方の変化によって新たな力動が起こる余裕ができたため、はじめと同じような切迫感は続かなくなります。この新しい力動は私たちの人間関係のパターンと質を変えていきます。

これらの原則がきちんと働くようにするには、まず、自分の考えのパターンについて完全な責任をとることを選びます。常に、しっかりとした意識を持っていられるようにします。怖れが現れてくるのは過去や未来なのですから、「今」に生きることは、アティテューディナル・ヒーリングにとって肝心なことです。

怖れというのは愛と正反対のものであり、両方の枠組みの中で同時に生きることは不可能です。愛の中で生きたいのであれば、過去のものも未来のものも怖れを手放すことによってそれが可能になります。実は、この瞬間にこそ、私たちにはそれができるのです。どういう状況に置かれているとしても。この瞬間に生きることによって、私たちは何が起こっても対処することができます。それが感情的な、身体的な、スピリチュアルな痛みであっても。

私たちの心を再訓練し始めるには、アティテューディナル・ヒーリングの12の原則のリストを、いつでも目にできるよう持ち歩くと良いでしょう。難しい状況になったら、私たちは直ちに問題の焦点を変えることができるのだということを認識することが大切です。私たちは、望むときにはいつでも役に立つ原則をどれでも選ぶことができます。原則を全て読んでも良いですし、起こっていることと関係のあるものを一つ選んでも良いのです。どのように原則を使おうとも、私たちは自分の態度をすぐに変えることができ、その結果として外で起こっていることの力動を変えることができるのだということがわかるでしょう。外側の状況は実際には変わることも変わらないこともあるでしょうが、私たちの受け止め方を変えることによって、世界を違うふうに見たり感じたりすることができるようになります。

アティテューディナル・ヒーリングは、やる気と、自覚と、率直さと練習を必要とします。必要なのはそれだけです。失敗のように見えるものによってやる気をなくさないことが重要です。それは、私たちが道を歩んでいく上での学びのための経験にすぎないのです。私たちに起こることは全て、私たちの学びのために起こるのです。そして、そこから、私たちは、学びが決して止まることがないように改めて選ぶことができるのです。

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アティテューディナル・ヒーリング・センターの誕生 カリフォルニア州、ティブロン

 アティテューディナル・ヒーリング・センターは1975年にジェラルド・ジャンポルスキー博士によって創設されました。ジャンポルスキー博士は、ジェリーと呼ばれるのを好みますが、当時、サンフランシスコ湾を見渡すカリフォルニア州ティブロンの魅力的な場所で開業をしている精神科医でした。彼は、いろいろな手法のよいところを取り入れるタイプの精神科医だと考えられていました。バイオフィードバック、催眠療法、リラクゼーションの技術をはじめ、彼が必要だと直感したものは何でも利用していました。彼の専門は、学習障害を持つ子どもたちでした。

 私の息子マイケルが失読症で苦しんでいたとき、私は必死で助けを求めていました。マイケルは9歳で、私の家庭の状況は悲惨でした。1971年、自分たちが深刻な状況に陥っており、抜け出せる見通しがないと思ったときに、私はジェリーを紹介されました。ですから、私たちは怖れおののきながら、ティブロンの小さな診療所に毎週通い始めたのです。息子は良くなり、治療をやめましたが、私は通い続けました。自分自身について学べるという期待にとてもワクワクしていたのです。私は1950年代にバークレーで心理学を学んでいましたが、それが今新たな魅力を感じさせたのです。過去には私の心理学の焦点は他人を理解することにありましたが、今度は自分についての気づきを深めるためのものとして見るようになりました。

 治療は私をすばらしく目覚めさせました。私が自分自身について探り学び始めると、人間の成長には限界がないということに気づいてきました。本当のことを言うと、それはとても苦しいプロセスでしたが、それだけ得るものも大きいものでした。

 アティテューディナル・ヒーリング・センターはスピリチュアルな方法で作られました。数ヶ月前に、ジェリーは「奇跡のコース」という読み物を紹介されました。彼はこれに深く感動しました。それを読んだ瞬間から、彼のスピリチュアルな変化が始まりました。彼が学んだことについて話してくれるのを聞いて、私も惹きつけられ、もっと詳しく話してくれるようにと常に質問をしました。この時点では、私は「奇跡のコース」のコピーを持っていませんでした。手に入らなかったからです。でも、ジェリーは自分が学んでいることの全てを喜んで教えてくれました。そしてその過程で、彼も自分自身の経験を強化したのです。

 実は、現在知られているアティテューディナル・ヒーリング・センターが作られる前に、ジェリーは私に、ある実験の計画に参加する気があるかどうか尋ねてきました。それは、地元の私立学校の低学年の健康で活発な子どもたちを対象に行われるものでした。ジェリーは、この子どもたちが、外で何が起こっていようと自分の内面をコントロールできるようになるかどうかを知りたかったのです。毎日の生活を送りやすくなるように、ものの受け止め方を実際に変えられるのかということを知りたかったのです。

私はこの考えに夢中になり、実験に喜んで参加したいと言いました。私たちはバイオフィードバックの道具を使い、結果が私たちにも子どもたちにもよくわかるようにしました。これは6週間の計画でした。ジェリーは6名のボランティアの大人たちと6名の子どもたちの協力を得ることができました。私たちは6週間続けて、火曜日の放課後に、ティブロンのジェリーの診療所の隣の「埠頭レストラン」のすぐ下にジェリーが借りた部屋で会いました。それぞれの大人が一対一で子どもに対応しました。

最初のプロセスは、子どもたちの指に装置をつけて、想像を働かせることによって手の温度を上げたり下げたりできるようにさせることでした。たとえば、私が、担当している7歳のブラッドに、手が温かい水にひたっていると思い描いたり、あるいは反対に、冷たい水に入っているとイメージしたりしてごらんと言います。全く何の問題もありませんでした。彼は最初のセッションでこれができるようになり、他のほとんどの子どもたちもそうでした。

私たちのどちらも、これが目の前で難なく実際にできるのを見てワクワクしました。それは自然なプロセスだったのです。次のステップは、「ブラッドの人生に起こっていることで変えたいことは何?」ということです。最初に取り組んだのは、野球をするときの恥ずかしさでした。打席に立ってみんなの注目が集まると、とても緊張してしまうのです。彼は固まってしまい、ボールを打つなどほとんど不可能な状態になってしまいます。私たちは野球場における彼の状況に、バイオフィードバックの技術を使うことができました。ブラッドが打席に向かって歩き、バットを振り、ボールをしっかりと高く打っている姿をイメージするようにしました。私たちは、共通の目標に向かって、遊びながら、楽しんでやりました。この練習が終わる頃には、よい結果が出るだろうという自信を二人とも持っていました。次の週、ホームランを打ったというニュースをもって現れたのは、喜んで、やすらいでいるブラッドでした。

6週間のセッションの間、私たちはたくさんのことに取り組みました――読み方、うまくいっていない友達との関係、父親に関する問題など、ブラッドが取り組んできた主だった問題は全てです。追跡調査をしてみると、その結果は長く続いていました。子どもたちは技術を自分のものにし、生活で必要になったときに自分で応用できるようになっていたのです。私は、良い友情が築けただけでなく、多くのことを学ばせてもらったこの実験プロジェクトが終わってしまうのが残念でした。

このプロジェクトが終わった2週間後、ジェリーはもう6週間プロジェクトをやるつもりがあるかと私に尋ねました。「癌の子どもたちと一緒にやるつもりはある?」とジェリーは言い、続けて、自分は死に直面するような子どもたちのために仕事をするようにという強い内なる導きを得たのだと言いました。当時、ジェリーは自分が死ぬことをとても怖れていました。私はと言えば、死の話題を感情的に避けていました。ジェリーはここに何か大切なことがあるのだということを心の中で知っていたのです。

私はそのプロジェクトが怖いと思いました。たった6週間のことだと自分に言い聞かせ、その間、参加している子どもたちに何も起こらないようにと望みました。それまで、重い病気の子どもが身近にいたことがなく、私は、率直に言って、とても怖かったのです。

4人の人たちが参加しました――ジェリー・ジャンポルスキーと、パット・テイラー(この計画のコーディネーター役)、グロリア・マーレイと、私です。私たちはまず子どもを見つけなければなりませんでした。私たちは医師や友人に尋ね、参加の意思がある子どもたちを、望んでいた数だけ見つけました。今度もまた、6名の子どもたちが選ばれました。それから私たちは子どもたちと親に連絡を取り、家を訪問してプロジェクトについて話し合いました。この実験の結果、他のたくさんの子どもたちが恩恵を被るかもしれないということを話し、協力を求めました。この子どもたちは、これからの6週間、私たちがお互いにどうやって助け合えるかを知るために週1回集まる気になってくれるのでしょうか? 言うまでもなく、全ての子どもたちと親たちが、参加に同意してくれました。

1975年の夏に、私たちの最初の集まりが持たれました。私たちはまだ「埠頭レストラン」の下の部屋に集まっており、まだ集まりの名前がありませんでした。ジェリーとパットとグロリアと私は皆そこにいました。私たちは夕食を用意しました。サラダ、スパゲッティ、フランスパン、そしてデザートにはクッキーを。夕食は、緊張を解くのには完璧でした。私たちは皆少し緊張していたのです。日程表を作っていなかったので、何が起こるのかもよくわかりませんでした。集まりの時間は2時間と決めてありました。

夕食を終えると、私たちは皆で輪になって座りました。1分間くらい手を握りました。これは、全ての集まりの最初と終わりに今でも行われている習慣です。仕事のミーティングであろうと、グループセッションであろうと、本当にそうなのです。

次に起こったことは、私にとって、センターの始まりのカギとなることでした。私たちは順番に、自分が怖れていることについて話しました。正直に、率直に。私は目前の怖れを話しました。それは、自分が失明するのではないかということでした。私は緑内障を患っていました。緑内障というのは、視神経を損傷するほど眼圧を高くする可能性のある病気なのです。

死についても、もちろん、話し合いました。私はそれまでに自分自身の死についても家族の死についても考えようとしたことがなかったので、子どもたちが最も深い心配事について自由に話すのを、畏敬の念をもって見ていました。

お互いに自分自身の怖れを打ち明け始めてみると、私たちには何の違いもないのだということに気づきました。大人も子どもも同じことに直面していました。子どもたちは私たちの教師になりました。子どもたちは、とても怖いテーマについて、私よりもはるかに直接的なやり方で物事に対処していました。

最初のセッションの終わりに、私たちは全員がずっと昔から友だちだったような気持ちになりました。深く気持ちを打ち明けあうことの何かが、他の何よりも人々をつなぐのです。でも、気軽な雰囲気がずっとその場を占めていたということも、大切なこととして言っておきましょう。いたわり打ち明け合う中に、笑いと愛がありました。

 6週間の終わりに、ジェリーとグロリアとパットと私は、子どもたちが私たちの教師になってくれたことに対して、お礼のカードにサインをし、5ドル札を封筒に入れました。私たちにどれほどのものを与えてくれたかを、子どもたちに伝えたかったのです。子どもたちは、まさに異口同音に「もうおしまいにしなければならないの?」と言いました。これは完璧な質問でした。なぜかというと、私たちも終わりにしたくないということをとてもよくわかっていたからです。私たちが合意したのは、皆にとって役に立っている限りは続けようということと、皆がこれほどたくさんのものを受け取っているときにやめる理由はないということでした。これは12年前のことです。そしてアティテューディナル・ヒーリング・センターが生まれたのです。(訳注:センターができたのは1975年)

 私たちのグループは、それから数年間にわたって続きました。小さいグループでした。私たち皆が定期的に同じやり方で参加しました。私たちは愛を分かち合いました。無条件の愛で、お互いに与え、受け取り、サポートしたのです。そして、やり方はほとんどいつも同じであっても、グループはいつも生き生きとしてワクワクするものでした。いつも何かしら新しいものを与えました。いつも何かしら新しいものを受け取りました。

 ゆっくりと、子どもたちが私たちのところに紹介されるようになってきました。医師や看護師や家族が、子どもたちの態度に違いを見出すようになってきたからです。自分たちが対処しなければならない問題について、別の対処の仕方をするようになったのです。注射、化学療法、その結果髪を失うことの心理的な影響といった問題に。

 その例が、7歳のブライアンでした。ブライアンは、とても苦しい耳の癌でした。毎週病院に行くと、彼は病院全体が混乱するほどひどい騒ぎを起こしました。病院の職員は、ブライアンが来る日をとても怖れるようになりました。なぜかというと、ブライアンの泣き声があまりにも大きく、抵抗があまりにも強いので、一日のスケジュール全体が遅れてしまうからです。そして、ブライアンの騒ぎの結果、治療を待っている親たちや子どもたちの不安がどうなるかは、言うまでもありません。

ブライアンは、グループの中で、心の焦点を変えるやり方を学びました。状況に対して別の見方をし、一週間の間に膨らませてきた恐怖を手放すにはどうしたらよいかを学びました。その結果は、本当に驚くべきものでした。皆が、深い変化に気づきました。

私たちは自分の気持ちを知るためにサイコドラマの形式を使い、4人の人が参加しました。一人は医師を演じ、もう一人は患者を演じ、残りの二人はそれぞれのうしろに立って意識の役を演じました。医師や患者が嘘をつくたびに(たとえば、「いや、これは痛くないよ」というふうに)意識はそれを思い出させる役を果たすのです。これは、私たちが自分の本当の気持ちを早く知れるようになるための、おもしろく、効果的な方法でした。

子どもたちとやったことで他にとても重要だったのは、自分の気持ちを表現する絵を描くよう励ましたことでした。これらの絵は、その素朴さにおいて、私たちが期待した以上のものを与えてくれました――言葉では伝えられない、子どもたちの気持ちや体験へのドアを開けてくれたのです。そして、そのプロセスを通して、私たちは皆、より親しくなりました。

この作業を進めるにつれてわかり始めたことがあります。それは、これらの絵が他の子どもたちの、そして医師や家族の役に立つだろうということです。ある日、私たちは本を書くことに決めました。何ごとも不可能なことはないという仮説のもとで、とにかくこれをやろうと取りかかったのです。私たちは絵を編集し、最終的なテーマに焦点を当てた新しい絵を描くように励ましました。この結果、私たちはさらに親しくなり、グループには新しい要素が加わりました。

約1年後、私たちの本がまさに完成しようとしていたときに、グレッグ・ハリソンが亡くなりました。グレッグは差し迫った死に直面したグループ最初の子どもとなりました。グレッグは11歳でした。白血病で、薬がもはや効かず、重度の痛みを抱えていました。グレッグは、自分で、もう逝く準備ができたということを決めたのです。彼はグループでそう言い、彼が死について話す間、皆が彼の周りに集まりました。

グレッグは、死というのは、天国に行って、そこにいる魂と一緒になることだと思うと言いました。彼は、多くの魂がこの世に下りてきて誰かの守護天使になると思うと言いました。彼は守護天使になりたいと決めたのです。残された私たちは、実際に、グレッグはそうなったのだと信じています。

 この地上での最後の数週間、グレッグは病院に入院していました。グレッグの両親と医師はすばらしいことをしました。グループのメンバー全てがグレッグを見舞ってよいと許可したのです。一九七〇年代には、死にかかっている子どもを他の子どもが見舞うというのは先例のないことでした。病気の子どもに、他の子どものばい菌が移るのではないかと怖れられていたのです。病院の医師と職員は、グループメンバーのお見舞いがどれほどグレッグにとって重要かということを理解したので、この方針を無視し、私たちが好きなだけ彼を見舞ってよいと許可してくれたのです。グレッグは亡くなる瞬間まで勇気について私たちに教えてくれました。彼は偉大な教師でした。

 グレッグが亡くなって間もなく、私たちの本は完成しました。グレッグの父親は本の出版者で、私たちの本の出版を助ける機会に感謝してくれました。その本、「雲のむこうに虹がある」(訳注:日本語訳は「ほるぷ出版」)は、五千部を刷るのに五千ドルかかるはずでした。私たちにはそのお金がありませんでしたが、センターのいつものやり方である「馬の前に馬車をつなぐ」(訳注:ものの順番が反対であるという意味のことわざ)で、私たちは出版の手続きを進めました。センターではよく起こることですが、お金の支払日に、ある財団が本のための小切手をくれました。これはすばらしい本で、たくさんの、たくさんの人を助けてきました。私たちは奇跡が起こるのを期待し、そして奇跡を受けたのです。

 ジェリーはその本をメディアに送りました。その少し後に、彼はシカゴから電話を受けました。それは、フィル・ドナヒュー・ショーのプロデューサーでした。彼女は、「虹」の本をとても気に入って、ジェリーにフィル・ドナヒューとのインタビューに出演してほしいと言いました。ジェリーは、そうしたいけれども、子どもを六人連れて行くことができなければ出演できないと言いました。その奇跡的な瞬間、プロデューサーは「いいですよ」と言ったのです。フィル・ドナヒュー・ショーのために、ジェリーと六人の子ども全員と、パット・テイラーと私はシカゴに飛びました。三人の親たちも一緒に来ました。私たちはグランド・ハイアット・ホテルを与えられ、運転手つきのリムジンがホテルとスタジオの送迎をしてくれました。それはとてもワクワクする時間でした。ショーは大変な成功を収めました。アティテューディナル・ヒーリング・センターは、初めて公にデビューをしたのです。

私たちは今でもドナヒューのテープを学びの道具として使っています。深い感動があり、見た人にはパワフルな影響を与えます。子どもたちはまっすぐで正直です。フィル・ドナヒューはこの経験にとても強く影響を受けたため、約一年後にカリフォルニアにやってきて、センターについてのショーをもう一度やりました。彼は十回のショーができるくらいの題材を得たといい、今でも子どもたちの何人かと連絡をとっています。

 シカゴから帰ってくると、私たちの静かな小さなセンターは大騒ぎになっていました。電話は一日中鳴りっぱなしです。アメリカ中から電話がかかってきて、助けを求めているのです。手紙が殺到しました。私たちは圧倒されながら、最善を尽くして手紙に返事をしたり電話をとったりしました。ドナヒューの番組の最後に、パット・テイラーが「私たちはサービスを有料にしようとは夢にも思いません・・・でも、寄付は決してお断りしません」と言いました。これがきっかけとなって、寄付が殺到しました。高額のものも小額のものも。私たちは反応の大きさの見当がつきませんでした。すごかったのです。

 私たちは全くのボランティア組織でした。今や公的な寄付が入ってくるようになったので、法的にNPOになる必要がありました。自力でそれができるかどうかを見てみようと私たちは決めました。弁護士に法外なお金を払わずにすむようにです。それは本当にとても単純でした。私たちはカリフォルニア州サクラメントに行きました。そして、NPO法人化を申し込みました。私たちは一九七七年一月二十日に国務長官の事務所に行き、その日のうちにNPO法人格を得ることができました。事務所の人は、基本定款を簡潔な形で作るのも手伝ってくれました。それは、カリフォルニア州法のもとで、私たちの目的をはっきりと述べたシンプルな文書です。基本定款は、私たち、当時は三人だった理事会メンバーによって署名されました。

 団体規約も作りました。ほかの団体の形式を調べて自分たちのセンターに必要なものを採用したのです。私たちの団体規約は十ページからなり、一九八一年十一月二十三日の理事会で採択され、事務局長のウイリアム・テッドフォードによって署名されました。私たちが踏まなければならなかったもう一つの公的なステップは、カリフォルニア州税務局に行って非課税の対象となることでした。これは、すでにNPO法人格を取っていたので、難なくできました。

私たちは公には子どものセンターとして知られていましたが、最初から大人のグループもありました。これは緑内障をもつ大人のグループでした。すでに触れたように、それは私が自分の問題として取り組んでいるものでした。私は子どもたちから、他人を助ければ自分を助けることになるということをすぐに学んだのです。このグループは約二年間続いていました。私たちの小さなグループが衰え始めたちょうどそのときに、ドナヒュー・ショーが公の光を当てたのです。その結果として、私たちは、致命的な病気を抱えた大人たちのためのグループはないかという問い合わせを受けるようになりました。私は予約リストを作り始め、そして小さなグループを始めるのに十分な数が得られたところで、大人のグループを始めました。それはゆっくりと自ら発展していきました。子どもたちのグループとは別に。

今日、センターには十八の大人のグループがあります。三つが致命的な病の人たちのものです。一つは乳がんの女性、もう一つは慢性疾患、二つがエイズ、一つが摂食行動についてのグループ、四つがパーソン・トゥー・パーソン(病気はないけれども、人間関係の中でアティテューディナル・ヒーリングを実行したい人)、二つが、致命的な病の人を支えている人たちのグループ、そして四つが高齢者のものです(老人ホームで行われています)。

グループのすべてが、外部からの要求によって直接作られました。私たちは勧誘をしたことはありませんが、大きさ・評判ともに、育ち続けてきました。そして、メディアを通して、センターのことを聞く人が毎日増えています。米国内には七十一のセンターが芽生え、世界中のほかの国にもセンターができました。これらのセンターは、それぞれ独立した組織ですが、私たちのセンターで確立された原則からインスピレーションを受けセンターを作ることになったのです。私たちのところにトレーニングを受けに来る人たちもたくさんいます。

私たちは年に四回、四十〜五十人の人を対象に広範なトレーニングをします。また、新しいボランティアを対象に年二回トレーニングをします。前回のトレーニングは、センターで働くことに関心のある約七十名の人が参加しました。私たちは広範囲にわたってボランティアの力で運営していますが、約八名の核となるスタッフもいます。このスタッフは、センターの運営と臨床の両方をします。私たちは財団と個人の献金者から資金を得ています。私たちは、ほかの慈善団体と同様、しばしば財政的に苦しくなりますが、奇跡が起こり続けて、十二年後の今も、まだ成長しています。

アティテューディナル・ヒーリングの概念は古くからのものであると同時に、比類のないものです。これらの原則は大昔からあるものですが、現代の考え方はそれをわかりにくくしています。私たちは社会の法律ではなく愛の法律を教えようとしています。原則は、使ってみると、実にうまくいくのです。怖れによる妨害を取り払って、愛の贈り物を開けるためのツールなのです。

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